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親父のいない父の日は今年でもう2回目になる。
魚のさばき方が上手で、書道が得意で、焼酎が好きで、にぎやかなこと、人を集めることを好み、孫たちを可愛がり、母を愛し、頼りにし、そして自分がいなくなったあとの母を気遣っていた父。
決して放任主義ではなかったが激しく叱られた記憶は無い。
父の日や誕生日にプレゼントをすると喜んではくれるのだが、多分照れくさかったのだろう、ありがとうの言葉を聞いたことは無かった。
さすがに孫たちには手放しで喜びとか感謝をぶつけていたが。
頑固な考え方、性格に反発したこともあったがその反発をも吸収してくれていたように思う。「いつも気にかけ、見守ってくれている」そんな親父だったような気がする。
そしてそれは俺が我が子に対するスタンスにもなっているかな?
1986年2月にガンの摘出手術をしたものの10年後に再発。
1996年8月、医師から「骨に転移しています。年越しは難しいでしょう。」と聞かされ、俺の口から親父に伝えた。
がっかりはしたけれど諦めはしなかった父。
抗がん剤と放射線治療でかなり体を痛めつけられながら黙々と治療を続けそして克服した。
1997年3月には治療を終え、再再発する2002年までの約5年間は、孫たちと旅行をしたり、好きな書道や魚料理を堪能し、区長の責務を積極的にこなす等々、退職後のある意味一番充実した時期であったかもしれないと思う。
再再発の時、本人が出した結論は「今回は抗がん剤も放射線治療もやらない」ということであり、母を含む家族もそれを了解した。
半年間は定期的な通院だけで、今まで通りの日常生活を頑張ったが、2002年7月ついに入院を余儀なくされた。
入院後の病状は坂道を転がり落ちるという形容が当てはまるものであり、入院してから2ヶ月後には逝ってしまった。
その2ヶ月間、母はほとんど病院に詰めっきりで、俺たち夫婦と妹夫婦は母のサポートに交代で病院に泊り込んだ。
喋ること、声を出すことが困難になったある日、一生懸命喋ろうとする親父の口元に耳をやると、聞き取りにくい、かすれた声で聞こえた言葉は確かに「ありがと」だったと思う。
意味が分からなかったことと、少し照れくさい思いもあって、「何が?」という間の抜けた返事をしてしまったが。
「あなたが俺や家族にしてくれた全ての行為にありがとう」
「あなたの俺や家族に対する全ての想いにありがとう」
という俺からの返事。
届いてるよな、親父。
1. 無題
感動して今ちょっと涙目です、私。<br />
いいお話を聞かせていただいて、ありがとうございます。<br />
とてもあたたかくて素敵なお父さまですね、そしてハルクさんも。</p>