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今年もまた「五月十一日」が巡ってくる。六十年前、米軍機による宮崎市空襲が激しさを増す太平洋戦争末期のこの日、集団下校中の小学生十二人の頭上に爆弾が降り注いだ。
幼い命は一瞬にして散った。・・・中略・・・直撃弾を浴びて、肉体は四散した。
・・・中略・・・
今、付属小から三百メートルほど離れた市道側溝に「いとし子の供養碑」が立つ。犠牲になった児童の母親・山下久子さんが戦後、十二人全員を供養したいと立てた。その供養碑に遺族以外で命日には欠かさず参って花を手向ける人がいる。宮崎市の元小学校教諭(75)。
自らも同じ空襲で重傷を負い、あの日の惨劇は今も目に焼き付く。だから、児童らのことは自分のことのように胸が痛み、命日にはしぜんと供養碑に足が向くのだという。昨年は自作の歌をささげた。そんな元教諭に心配なことがある。
年を重ねる中で「五月十一日」が市民の脳裏から離れ、風化しつつあることへの懸念が強まっているのだ。それを防ぐには供養碑に寄せる母親の思いを受け継ぎ、伝えていかなければならない。元教諭はそう思って、今年も碑の前に立つ。